他人を否定する事は自分を否定する事。
目指すは共存共栄ですから。松下幸之助が乗り移ってますから。
私は「好き」しか視界に入ってこないし、時々「好き」も視界に入れず
ぼんやりしているので、私の「好き」以外もみんな楽しくやってくれればいい。
私の邪魔をしないでくれればそれでいい。
感動とかリスペクトとか、そういう感情の高まりが伴わないと
人って動かないと思うんですよね。心も身体も。
「好き」は自分だけのものでしょう。
その気持ちの高まりはそうそう他人と共有できるものではない。
自分の思い入れを安易にばらまくのは「好き」を安売りすることなので、
「好き」に失礼じゃないかと思ってしまうんですよね。
それは synchronicity なんです。
単なる偶然を意味のある事だと思い込んでいるだけなんです。
人間の好意というものは、種を存続させるために組み込まれた
プログラムによるものなので、個体における優位性はあっても
個体そのものの優劣は存在しないのです。全部同じ。
そこから自分に都合のよい理由をつけて選別しているだけです。
目を覚まして !
私が良いと感じるものを他人が良いと感じるとは限らないし、
逆もまた然り。何を良いと思うかはその人の自由。
何を好きになるかは、今後の人生に大きく関わるものなのに、
何の権利があって他人に影響を与えようとするのか。
無理に答えをだそうとしなくても、心に正解なんてないのよ。
「堕ちてしまえ」 SHADY DOLLS