悲劇の外側にいる場合、何を言えばいいのかわからなかったり、
声をかける事そのものをためらいますね。
そういう遠慮のようなものが、品の良さと定義されている場合もあるので。
人を想う程、大切なものを守ろうとする程、上品さとはかけ離れるのかも
しれません。品位は大切だけれど役には立たない、場合もある。
笑っていても笑っていない。人の本音はわからないものです。
隠している気持ちを無理に探るのも、わりと迷惑な話。
それでも心を寄り添わせたいと思っているのに、
安全な場所にいる人のワガママだと …
確かにそうだな。確かにそうだと思いました。でも …
いま自分が安全な場所にいられるのは、単なる偶然でしかない。
安全な場所からでも、心配したり、悲しんだり、手を差し伸べていい相手が
いるならば、それはとても幸せな事ですね。
そう思える相手がいるだけでも幸せな事なんだと思います。
セットとかスクリーンとか多少の違いはあるものの、だいたい同じ内容でした。
隣の劇場では、悲劇の内側の話が上演されるのだと勝手に思い込んでいたので
少しがっかりしたのもあり、同じ話を同時間にやる必要ある ? と思いました。
八つ当たりです。どちらも見ると、どうしても比べてしまいますね。
私はウエストの方が好みでした。
とても良いものを見ました。悲劇的ではありますが、見られて幸せ。