第一部は精神医学と自殺学を専門とする、張賢徳先生の講演。
いろいろな事例をあげながら、自殺予防に徹したいと語っておられた。
人はどんな時に死にたくなるのか、という例として、精神病、絶望感、
所属感の減弱、疎外感、負担感 (自分の存在が周囲に負担をかけている)
の知覚、をあげられていた。
自殺を思い留まる事の出来た人の多くは、「家族の事を考えたから」と
言うそうである。家族の為だけにあらず、人の役に立つ事、
人の為に生きる事は、人間を強く支える力なのだなと思う。
みんな、どこまで真面目なんですか !
第二部は石井光太先生 (と呼ばれていた) の危機の構造についての講演。
今回も繰り返し、一つの事象に対する要因は一つではない事に言及される。
何か事件が起こると、判りやすい一つの要因が取り上げられるが、
事件全体を掘り下げてみると、複合的な小さな理由が積み重なっている。
追い詰められた人にとっては、何がきっかけの引き金になるかわからないが、
突然溢れてしまい、事件を起こしたり、自殺してしまったりする。
誰もが、遠く、小さく、加害者になる可能性がある。
東日本大震災について書かれた「遺体」についてふれ、
「人間の言葉の温かさ」を語られる。
迷惑かもしれないからやらないという選択をしがちだが、
それをやった事によって、救われる心と命がある、と。
そう考えると、誰にでも、出来る事は無数にあるのかも。
樹海で遺体の捜索をすると、自殺者の痕跡は陽だまりにある事が多いという。
自殺をする人でも、暗闇ではなく陽だまりで死にたいのだ。
それは最期まで光 (救い) を求めていたという事なのだろうか。
第三部はディスカッション。地域で自殺予防等に取り組まれている方たちと。
肩書と人数忘れました。確か二人だったかな。
常々、こういう取組みをする人は余裕がないと無理だよな、と思っていた。
他人の重たい話を聞くのは辛い、「もらっちゃった」分はどうするのだろう ?
ケアする人が、ケアされる側にまわっちゃったら本末転倒だよなと
思っていた。やはり、心重たくなる場合も多いそうです。
そんな時はどう整理したらいいかという話で、今回も石井光太さんは
「ズーンとくること、眠れなくなることもあるけれど、
目の前に苦しんでいる人がいるのに、自分が苦しんでも意味はない」
とバッサリ。気持ちいいくらいバッサリ。
人は出来る事しか出来ないし、目の前の事に粛々と取り組むしかないのだ。
そっとしておく親切より、声をかけるおせっかい。
2016年10月1日 高津市民館大会議室 こころの健康セミナー